Shinabutawotosashite | 1 points | Nov 23 2021 11:44:24

人食

唐末五代以後も、支那人の Cannibalism は依然行はれた、この一千年間に於ける正史野乘を遍ねく探つたならば、Cannibalism の例證は恐らくは山にも比し得る程と思ふ。吾が輩はかかる例證を一々探討する餘暇もなく、又かかる例證を一々羅列する必要をも感ぜぬ。ただこの期間に起つた尤も酷烈なる Cannibalism の記事二三を茲に掲げて、全貌窺測の資料に供したい。  北宋末から南宋の初期にかけて、女眞人の入寇により、支那を擧げて紛擾の裡に陷つた。この際例によつて所在に人肉食用が流行した。就中南宋の莊綽の『※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)肋編』(『説郛』※[#「疆のへん」の「土」に代えて「一」、U+38A7、173-7]二十七所收)に記する所、尤も酸鼻を極めて居る。 自二靖康丙午歳(西暦一一二六)。金狄亂一レ華。六七年間。山東、京西、淮南等路。荊榛千里。米斗至二數十千一。且不レ可レ得。盜賊官兵以至二民居(居民?)一更相食。人肉之價賤二于犬豕一。壯者一枚。不レ過二十五斤一。躯暴以爲レ※(「月+昔」、第3水準1-90-47)。登州范温率二忠義之人一。紹興癸丑歳(西暦一一三三)。汎レ海到二錢塘一。有下至二行在(杭州)一猶食者上。老嫂(痩?)男子婦女。更謂二之饒把火一。婦人少艾者。名二之下羹羊一。小兒呼爲二和骨爛一。又通目爲二兩脚羊一。唐止タダ朱粲一賊。今百二倍于前數一。殺戮、焚溺、飢餓、疾疫、陷墮。其死已衆。又加レ之以二相食一。……不レ意以二老眼一。親見二此時一。嗚呼痛哉。  この兩脚羊とは兩脚を有する羊の意味で、人間を羊同樣に食用するから起つた名稱である。和骨爛とは骨と肉を併せて火食する、下羮羊は『輟耕録』卷九に引けるものは不美羹となつて居る。これは羹の料に供するより起つた名稱で、饒把火とは肉硬くして燃料を多く要するより起つた名稱かと想ふ。  元朝の末期に出た陶宗儀の『輟耕録』卷九にも、その當時の事實として、『※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)肋編』に劣らざる、否遙にそれ以上と認むべき悲慘な記事を傳へて居る。 天下兵甲方殷。而淮右之軍。嗜食レ人。以二小兒一爲レ上。婦女次レ之。男子又次レ之。或使レ坐二兩缸間一。外逼以レ火。或於二鐵架上一生炙。或縛二其手足一。先用二沸湯一澆溌。却以二竹帚一刷二去苦皮一。或乘二夾袋中一。入二巨鍋一。活※(「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52)。或※[#「卦のへん+りっとう」、U+5232、174-5]二作事件一(?)而淹レ之。或男子則止斷二其雙腿一。婦女則特※(「宛+りっとう」、第4水準2-3-26)二其兩乳一酷毒萬状。不レ可二具言一。  活人をその儘火炙にするとか、袋に入れ鍋で※(「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52)るとか、その手足を縛し熱湯をかけて皮膚を爛らし、竹帚にてその皮膚を洗刷する等、千歳の下猶ほ聞く者をして毛髮竦然たらしむるではないか。此の記事の如きは、單に支那人の食人肉の一材料のみでなく、又支那人の殘忍性を證明するべき一材料と思ふ。  明の謝肇※(「さんずい+制」、第3水準1-86-84)の『文海披沙』卷七に、左の如き記事がある。 我太祖高皇帝時。開平王常遇春妻甚妬。上賜二侍女一。王悦二其手一。妻即斷レ之。王憤且惧。入朝而色不レ懌。上詰再三。王始具對。上大笑曰。此小事耳。再賜何妨。且飮レ酒寛レ懷。密令二校尉數人一至二王第一。誅二其妻一支二解之一。各以二一臠一賜二群臣一。題曰二悍婦之肉一。肉至。王尚在レ座。即以賜レ之。王大驚謝歸。怖※(「りっしんべん+宛」、第3水準1-84-51)累日。此事千古之快。其過二唐太宗一萬萬矣。  唐の太宗は、曾て兵部尚書の任環に二宮女を賜ふたが、任環の妻柳氏は妬※[#「女+旱」、U+5A28、174-14]で、二宮女を虐待した。太宗は態※(二の字点、1-2-22)柳氏を招きて懇諭したが、柳氏は頑として聽入れぬ。一天萬乘の太宗も、已むを得ずして二宮女を別宅に安置させたことが、唐の張※(「族/鳥」、第4水準2-94-39)の『朝野僉載』に見えて居る。謝肇※(「さんずい+制」、第3水準1-86-84)は明の太祖と比較すべく、この故事を引用したのである。さるにても天子の尊に居る明の太祖が、公然かかる蠻行を敢てするとは驚くべきでないか。更に一代の達識を以て稱せらるる謝肇※(「さんずい+制」、第3水準1-86-84)が、この蠻行を稱揚して千古の快事など放言するに至つては、愈※(二の字点、1-2-22)呆るる外ない。  明末清初に流賊横行の際に、例によつて、到る處で人肉食用の蠻行が起つた。この事實は、當時の支那人及び外國人の記録に散見して居るが、その代表として、清初の顧山貞の『客※(「さんずい+眞」、第3水準1-87-1)述』の一節を紹介する。 {明永明王永暦元年(西暦一六四七)}四川大飢。民相食。有二夫婦父子互食者一。蓋甲申(西暦一六四四)以來。大亂三年。民皆逃竄。無二人耕種一。而宿糧棄廢又盡。故飢荒至レ此。……嘉定州則斗米三十金。成都、重慶。倶五十金。……成都人多逃入二雅州一。採二野菓一而食。亦多下流二入土司一者上。死亡滿レ路。屍纔倒レ地。即爲二人割去一。雖レ斬レ之不レ可レ止。……成都食レ人尤甚。強者聚二衆數百一。掠レ人而食。若レ屠二羊豕一然。綿州大學士劉宇亮少子。亦爲二強盜所一レ食。……男子肉毎斤七錢。女子肉毎斤八錢。塚中枯骨。皆掘出爲レ屑以食焉。

支那の雜劇、稗史、小説等のうちにも、人肉食用の記事の尠からざることは、有名なフランスの Bazin が夙に注意して居る(Chine Moderne. pp. 460, 461)。此等の記事を、その儘に事實として受取り難くとも、かかる記事の存在その者を、支那人間に Cannibalism の行はれた、一旁證と認めて差支あるまい。吾が輩はこの方面の智識誠に貧弱であるが、その貧弱な智識の中から二三の例を左に紹介する。  元曲中に「趙禮讓肥」がある。王莽の末年に於ける天下騷亂の際に、趙孝、趙禮といふ二人の兄弟が、亂を宜秋山下に避けて、母親に孝養を盡して居つた。所が一日弟の趙禮が、馬武といふ盜賊の頭目の手に捕獲された。馬武は彼自身、 某今在二這宜秋山虎頭寨一。落草ミヲオトシテ爲レ寇。也マタ是不レ得レ已而爲レ之。毎二一日一要レ喫二一副人心肝一。今日拿二住一頭牛一。欲レ待レ殺二壞他一。 と告白して居る通り、この趙禮を料理して食に充てんとした。弟の不運を聞き知つた趙孝は、早速馬武の營下に到つて、弟の身代りに立たんことを哀求した。かくて馬武の面前で、趙孝、趙禮の兄弟が、身の肥痩を競ひ死を爭うた。さしも鐵心腸の馬武も、二人の友情に感動して、之を放免した。やがて東漢一統の世となると、馬武は用ひられて天下兵馬大元帥となり、彼の推擧で趙孝趙禮兄弟も、それぞれ出世するといふのが、この劇の筋書である(『元曲選』第二十九册參看)。この趙孝趙禮の墓は、今も直隷省昌平縣の西北の賢莊口にあるといふ(『光緒昌平州志』卷十)。趙孝趙禮の事蹟は『後漢書』に、 及二天下亂一。人相食。(趙)孝弟禮爲二餓賊所一レ得。孝聞レ之即自縛。詣レ賊曰。禮久餓羸痩。不レ如二孝肥飽一。賊大驚竝放レ之。謂曰可下且歸。更持二米糒一來上。孝求不レ能レ得。復往報レ賊。願レ就レ烹。衆異レ之。遂不レ害(卷六十九、趙孝傳) と見えて居る。「趙禮讓肥」一劇はこの史實に本づくことがわかる。  食人肉の風習の行はるる支那では、趙孝趙禮の如く、兄弟若くは父子夫婦の間に、肥を讓つた事例は必しも稀有でない。『後漢書』一書の中からでも、幾多の實例を擧ぐるに難くない。「趙禮讓肥」の作者秦簡夫と、ほぼ時代を同くする李仲義の妻劉氏の如きも、かかる代表の一人として擧ぐることが出來る。 劉氏名翠哥。房山人。至正二十年(西暦一三六〇)縣大饑。平章劉哈剌不花乏レ食。執二{李}仲義一欲レ烹レ之。……劉氏……涕泣伏レ地。告二於兵一曰。所レ執者是吾夫也。乞矜二憐之一。貸二其生一。吾家有二醤一甕。米一斗五升一。窖二于地中一。可下掘二取之一以代中吾夫上。兵不レ從。劉氏曰。吾夫痩小不レ可レ食。吾聞婦人肥黒者味美。吾肥且黒。願就レ烹以代レ夫死。兵遂釋二其夫一而烹二劉氏一。聞者莫レ不レ哀レ之。(『元史』卷二百一、列女傳)。 『演義三國志』第十九囘に、劉備が呂布の爲に小沛を陷られて、敗走の途中、獵戸の劉安の家に宿せし時、劉安は劉備にその妻の肉を進めたことを記して、 當下ソノトキ劉安聞二豫州牧至一。欲下尋二野味一供食上。一時不レ能レ得。乃殺二其妻一以食レ之。玄徳曰。此何肉也。安曰。乃狼肉也。玄徳不レ疑。遂飽食了一頓。天晩就宿。至レ曉將レ去。往二後院一取レ馬。忽見三一婦人殺二於廚下一。臂上肉已都割去。玄徳驚問。方知二昨夜食者。乃其妻之肉一也。 とある。  また『隔簾花影』の第三十八囘に、南宋の岳飛が揚州を囘復して、かねて金軍の手先となつて支那人を虐待した、所謂漢奸の重なる者を捕へて處分した時の光景を描いて、 那時ソノトキ百姓。上千上萬セントナクマントナク。……走致二揚州府前。市心裏一。那裏等二得開刀一。早被二百姓們ドモ上來一。※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)一刀。我一刀。零分碎※[#「咼+りっとう」、U+526E、177-10]去吃了。只落ノコス二得一個孤椿ヒトツノポウ一。※シバラレテ[#「糸+邦」、U+7D81、177-11]在二市心一。開二了※[#「月+堂」、U+819B、177-11]一取二心肝五臟一。纔割二下頭一來。 とある。『水滸傳』には隨所に食人肉の記事が見えて、一々開列するに堪へぬ。その第十囘に、朱貴が梁山泊畔に酒店を開き、往來の富商を劫略することを記して、 輕則蒙汗藥シビレクスリニテ麻翻。重則登時結果スグサマコロシ。將二精肉一爲二※[#「翔のへん+巴」、U+7F93、177-14]子一。肥肉煎レ油點レ燈。 とある。第二十六囘には張青夫婦が行人を殺害して、その肉にて肉饅頭を作つて販賣することを記して、 這等肥胖コノフトツタヤツ。好做二黄牛肉一賣。那カノ兩箇痩蠻子ヤセタミナミシナジン。只好做二水牛肉一賣。 といひ、その人肉料理場の有樣を描きて、 張青便引二武松一。到二人肉作坊裏一看時。見下壁上※ハリ[#「糸+(萠-くさかんむり)」、U+7DB3、178-1]二着ツケ幾張人皮一。梁上吊ツリ中着サゲ五七條人腿上。見二那兩箇公人一。一顛一倒。挺著在二剥人※(「登/几」、第4水準2-3-19)上一。 といふ。第三十五囘に掲陽嶺の酒店裏で、宋江一行が、 如今江湖上歹人ワルモノ。多有。萬千好漢。着二了道兒一的。酒店裏下二了蒙汗藥一。麻翻了。劫二了財物一。人肉把來做二饅頭餡子一。 と取沙汰して居る。その第四十二囘に李逵が李鬼を殺害して、その肉を肴に食事する光景を描いて、 李逵盛レ飯來。喫了一囘。看着自笑道。好癡漢。放二著好肉一。在二面前一。却不レ會レ喫。拔二出腰刀一。便去二李鬼腿上一。割二下兩塊肉一來。把二些水一洗淨了。竈裏抓二些炭火一來。便燒。一面燒。一面喫。喫得飽了。 とある。

[-] Jealous_Share_5090 | 1 points | Nov 24 2021 01:01:54

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