ChiangKaiShek1949 | 1 points | Feb 20 2022 13:44:37

脱亜論

世界交通の道便にして西洋文明の風東に漸し到る處草も木も此風に靡かざるはなし蓋し西洋の人物古今に大に異るに非ずと雖ども其擧動の古に遲鈍にして今に活潑なるは唯交通の利器を利用して勢に乘ずるが故のみ故に方今東洋に國するものゝ爲に謀るに此文明東漸の勢に激して之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと雖ども苟も世界中の現狀を視察して事實に不可なるを知らん者は世と推し移りて共に文明の海に浮沈し共に文明の波を揚げて共に文明の苦樂を與にするの外ある可らざるなり文明は猶麻疹の流行の如し目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して春暖と共に次第に蔓延する者の如し此時に當り此流行病の害を惡で此を防がんとするも果して其手段ある可きや我輩斷じて其術なきを證す有害一偏の流行病にても尙且其勢には激す可らず況や利害相伴ふて常に利益多き文明に於てをや啻に之を防がざるのみならず力めて其蔓延を助け國民をして早く其氣風に浴せしむるは智者の事なる可し西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開國を發端として國民漸く其採る可きを知り漸次に活潑の氣風を催ふしたれども進步の道に橫はるに古風老大の政府なるものありて之を如何ともす可らず政府を保存せん歟、文明は決して入る可らず如何となれば近時の文明は日本の舊套と兩立す可らずして舊套を脫すれば同時に政府も亦廢滅す可ければなり、然ば則ち文明を防で其侵入を止めん歟、日本國は獨立す可らず如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の獨睡を許さゞればなり是に於てか我日本の士人は國を重しとし政府を輕しとするの大義に基き又幸に帝室の神聖尊嚴に依賴して斷じて舊政府を倒して新政府を立て國中朝野の別なく一切萬事西洋近時の文明を採り獨り日本の舊套を脫したるのみならず亞細亞全洲の中に在て新に一機軸を出し主義とする所は唯脫亞の二字に在るのみ  我日本の國土は亞細亞の東邊に在りと雖ども其國民の精神は既に亞細亞の固陋を脫して西洋の文明に移りたり然るに爰に不幸なるは近隣に國あり一を支那と云ひ一を朝鮮と云ふ此二國の人民も古來亞細亞流の政敎風俗に養はるゝこと我日本國民に異ならずと雖ども其人種の由來を殊にするか但しは同樣の政敎風俗中に居ながらも遺傳敎育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三國相對し支と韓と相似るの狀は支韓の日に於けるよりも近くして此二國の者共は一身に就き又一國に關して改進の道を知らず交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして其古風舊慣に戀々するの情は百千年の古に異ならず此文明日新の活劇場に敎育の事を論ずれば儒敎主義と云ひ學校の敎旨は仁義禮智と稱し一より十に至るまで外見の虛飾のみを事として其實際に於ては眞理原則の知見なきのみか道德さへ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め尙傲然として自省の念なき者の如し我輩を以て此二國を視れば今の文明東漸の風潮に際し迚も其獨立を維持するの道ある可らず幸にして其國中に志士の出現して先づ國事開進の手始めとして大に其政府を改革すること我維新の如き大擧を企て先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども若しも然らざるに於ては今より數年を出でずして亡國と爲り其國土は世界文明諸國の分割に歸す可きこと一點の疑あることなし如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら支韓兩國は其傳染の天然に背き無理に之を避けんとして一室內に閉居し空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり輔車唇齒とは隣國相助くるの喩なれども今の支那朝鮮は我日本國のために一毫の援助と爲らざるのみならず西洋文明人の眼を以てすれば三國の地利相接するが爲に時に或は之を同一視し支韓を評するの價を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず例へば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃む可きものあらざれば西洋の人は日本も亦無法律の國かと疑ひ、支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、支那人が卑屈にして恥を知らざれば日本人の義俠も之がために掩はれ、朝鮮國に人を刑するの慘酷なるあれば日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き是等の事例を計れば枚擧に遑あらず之を喩へば比隣軒を並べたる一村一町內の者共が愚にして無法にして然かも殘忍無情なるときは稀に其町村內の一家人が正當の人事に注意するも他の醜に掩はれて堙沒するものに異ならず其影響の事實に現はれて間接に我外交上の故障を成すことは實に少々ならず我日本國の一大不幸と云ふ可し左れば今日の謀を爲すに我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず寧ろ其伍を脫して西洋の文明國と進退を共にし其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ惡友を親しむ者は共に惡名を免かる可らず我れは心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり(明治十八年三月十六日)

[-] [deleted] | 3 points | Feb 20 2022 15:32:45

[deleted]

[-] ChungkuoRun | 1 points | Feb 20 2022 18:23:48

OP故意的

[-] ChungkuoRun | 2 points | Feb 20 2022 18:19:31

日本の初等・中等教育の歴史教科書においても、「脱亜論」社説を「日本が欧米列強に近づくためにアジアからの脱却を唱えた物で、日本がアジアの1ヵ国であることを否定している」と定義付け、「日本人がアジアを蔑視する元となった脱亜入欧の代表的言説」と教えていることが多い。が、この論文に至った甲申事変や当時の歴史的背景を教えていない事も多く、「脱亜論」の一部だけを取り上げて、「脱亜論」社説を正しく解釈していない、と言う意見も存在する。丸山眞男は、福沢が実践的にも早くからコミットしていた金玉均ら朝鮮開化派による甲申事変が三日天下に終わったことの失望感と、日本・清国政府・李氏政権がそれぞれの立場から甲申事変の結果を傍観・利用したことに対する焦立ちから、「「脱亜論」の社説はこうした福沢の挫折感と憤激の爆発として読まれねばならない」と説明する[注釈 1]。また、丸山は、福澤が「脱亜論」を執筆したと仮定しても、福澤が「脱亜」という単語を使用したのは「脱亜論」1編のみであると指摘した。それゆえ、「脱亜」という単語は福澤においてはキーワードでないと述べた。さらに、「入欧」という単語に至っては、福澤諭吉は(署名著作と無署名論説の全てにおいて)一度も使用したことがなく、したがって「脱亜入欧」という成句も福澤が一度も使用していないことを指摘した[注釈 2]。さらに、丸山は「脱亜入欧」という成句が福澤と結びつけて考えられるようになるのはたかだか1950年代以降のことであり、戦前の福澤研究や石河幹明の『福澤諭吉伝』においても「脱亜」とか「脱亜入欧」とかいう語句が登場することはなく、社説「脱亜論」に関してもほとんど引用されたことはないと指摘した[15]。

[-] ChungkuoRun | 3 points | Feb 20 2022 18:19:43

小説家の清水義範は、小説中の文学探偵が「脱亜論」を読んだ感想として、「日本は文明国だから、中国、朝鮮を支配していい、なんて考えておらず、当然のことながらそんなことは書いていない。むしろ、西洋列強の野望渦巻く苛烈な国際情勢下で、ひとり先に文明開化した日本が独立をまっとうせんがためには致し方なく中国、朝鮮と袂を分かたなければいけない……それが脱亜という選択肢である」と語らせている[注釈 6]。